3月24日(但し、2023年の)

28歳の春。 暖かい日差しに不釣り合いな分厚いカーディガンを着て、賑やかな街へと向かう。 初めて行く場所は緊張するが、きっと終わってしまえば大したことのない出来事だ。そう言い聞かせて自分を落ち着かせる。 電車ではちらほらマスクを外す人が現れ、世…

商店街

厳しい毎日。荒々しい風が吹く。勢力を増した台風が迫っていると、夕方のニュースで言っていた。最近パーマをかけた髪があっちこっちに吹き乱され、目に入ったり口にかかったりして何とも鬱陶しい。くすぐられた鼻がかゆい。 いつもの癖で鼻をこすりながら、…

12.11 電車っていう乗り物があって、レールの上を走る鉄のかたまりは、とても速く、一度にたくさんの人を運べるんだ。遠いところでもレールさえ敷いてあればすぐ行くことができる。重たいものも運べるし、車みたいに自分で道を選んで運転する必要がないんだ…

睡蓮

乱文を連ねても仕方がないので、短い物語でも書けたらいいと思う。しかしまた今日も物語にはなれなさそうだ。思うことは書くことではない。書くことは、言葉通り、描くことに似ている。思いをキャンバスに落としていく。言葉はふわふわと浮かぶ絵の具で、そ…

最高気温

日々の移ろいや、流れる川のように揺らめく感情は、とめどなく溢れ、光り、はじけて溶けてしまう。こんなにも心が動いている、衝動を、繋ぎ止めておきたいと思った。きっとそれは、文章を書くことだった。 曲を作りたいと思った。一瞬の感動を切り取ったよう…

ジヴェルニーの食卓

5月18日。 原田マハさんの本を読んだ。 4編の短編集。1話目のアンリ・マティスを読み終え、本を閉じてから思わず額を寄せた。 原田マハさんの文章は、最後の一言まで、上品で美しい語り口。芸術のもつ眩しい光、胸をくすぐる色彩、美しいものに出会う感動、…

桜の散る夜

3月30日。 高速道路の橙色のランプが、目の奥にべっとりと広がる。吐き気のような、喉につかえているかたまりが膨らむ。何度眠りについても、考え直しても、胸の奥のイライラが消えてくれない。もやのようにまとわりついて、頭をぼーっとさせる。 一度自分の…

あの坂の上

3月12日。 私は結構坂道が好きだ。地面を踏みしめる感触が足の裏から伝わり、ふくらはぎの筋肉が伸びているのを感じる。平坦な道より速くなる。ぐんぐん進む感じが好きだ。プライドも意地もズタズタになって、妥協しながら、ここまできた。ちっぽけな自分が…

1月24日。 口にした途端、ああこれではないと分かる。間違った言葉、伝わらない気持ち。表現できない。君の顔色を伺えば、たいていは傷付けているか、怒らせているかのどちらかだった。分かってもらいたくて溢れ出る言葉達は、刃となり、槍となり、たとえ望…

タイル

1月9日。 空がグレーに包む、憂鬱な朝。発車ベルは頭上をざわつかせ、丸まった靴下のように詰め込まれる車内。今日もどうにかなってしまいそうだ。

準備中

12月27日。 もう年の瀬も近付いている。慌ただしい日々。自信を持ったり失ったり、揺らめいている私は宙に浮いているようだ。 音はなぜ、形を持たなかったのだろうか。耳に差し込んだイヤホンから壮大な四重奏が体の中に入ってくる。揺らめいて広がり、近付…

12月14日。 夜。冷たく澄んだ空気が頬をさす。 デスクに釘付けだった首が錆びたペダルのように悲鳴をあげる。宵闇。徐々に増えていく星。寒さなど忘れてしまった。

12月13日。 思い出しては忘れ、忘れてはまた思い出している。どうしてなくならないのか。自分の心は思い通りにならない。思い出したあの気持ち、希望、理想。離れていて忘れた悲しみ、現実。

国道

12月11日。 私は、今まで行ったところのかけらでできている。 そんな思いに駆られたのは、大きな国道沿いを歩いていた帰り道。重たいトラックが次から次へと、暗闇を照らしながら轟々と唸り声をあげて引き摺られていく。赤信号が遮ると、冷たい風が吹き、街…

白い器

12月9日。 ストーブの上のやかんは、シュンシュンと鳴って、カタカタと小さな蓋を揺らす。大人しい一輪挿しは薄麻色をしていて、深い焦げ茶のテーブルに身を預けていた。隣の夫婦は、ぽつりぽつりと話をしては、それぞれの手元の本に視線を落とす。女性がた…

チャック

12月7日。 話したいというのにマスクをしている。歌いたい食べたい伝えたい。それでも自分の心だけは強固な壁で見えないようにした。マスクをとる自信はなかった。 自分だって愛想がよくないのに、他人の気のない返事で心が痛む。不快にさせていないかと考え…

白い息

12月6日。 心の中には、決まりごともモラルもない。何を考えていようと、反対に何も考えていなくとも、自由で無秩序で、垣根もない虚空。無になるにはあまりに広く、片付けようにも底が見えない。目には見えない世界、誰とも繋がってはいないようだ。 口を閉…

イチョウ

12月5日。 どんなに喚いても、あなたは私になれないし、私だってあなたにはなれないのだ。傷付けられたあなたはただ一人。痛みを分けあっても、どうしようもなく一人だ。

12月4日。 どうしようもないもの。自分の心だ。

12月3日。 午後の公園では、よく物思いに耽る。過去に想いを馳せたり、未来を傍観してみたりする。 氷の上を、刃のついた靴が模様を描く。多くの人が実に楽しそうに、自由に、あちこちに動いている。間を縫いながら、風を切って滑るのは心地よい。シャッシャ…

瞳の奥

12月2日。 青い空に澄んだ光、師走の冷たい風が心地よい。学生服には色とりどりのマフラー。彼らの淡い感情を繋ぎとめるように編まれたチェック柄。胸の奥で、子猫に甘噛みされたような痛みを感じる。 何か新しいことを始めたい。変わりたい。そんな気持ちで…

12月1日。 はじまりの日、別れの日。それまでの時間はどこにあったのか、ふりかえるには少し急だった。大切なものはすぐにはできない。与えられるものが少なければ、失うものも多くないはずだ。それなのになぜだろう。失う痛みは身を削られるようだし、与え…

地下鉄

11月30日。 考えがまとまらない。何度思い直しても、同じところから抜け出せない様は、傾いた車輪のようだ。 地下のアリの巣を迷いながら進む。答えはない矢印の先。冷蔵庫の中で、君を抱きしめることだけは間違っていないと思った。 黄色い時計が好きだと言…

シャベル

11月29日。 順番という言葉を覚えたのは、きっと友達とおもちゃを取り合ったときだ。「ほら、じゅんばんだよ」そう言えることは小さい体の誇りとなった。「じゅんばんだから」我慢することも覚えた。

足元

11月28日。 とってつけたような、見栄えの良い服を着ても、生活は欠かせない。分かってはいても、久しく顔を見なかった人に見栄をはりたくなるのは、自分を嫌いになりたくないからだろう。 中身がしっかりしてるから、大丈夫よ。大切な人にそう言われること…

菓子

11月27日。 人生には、いつか大切な人と、さよならするまでしか時間がない。 明日か、明後日か、もっとずっと先か。今すぐにということもあり得る。いつかさよならする時がくる。もしかしたら、さよならなんて言う間も無く訪れるのかもしれない。 見通しもつ…

瓶詰め

11月26日。 何かを褒める時、他のものを貶さないと褒められない人がいる。一つだけ評価することは難しく、低いものと比べるのは簡単で分かりやすいからか。悪い言い方をすれば引き立て役。それはまるで恋愛と一緒だ。 「私の知らないところで、幸せになって…

帽子の形

11月25日。 この胸があつくなるのは、君の顔がかっこいいからだろうか。言葉はいつまでも頭の中を漂い、回復薬のように、何度も何度も力をくれる。嬉しくなる距離がある。同じ気持ちでいたいと願う。大きな背中に隠れて、風よけにしてじゃれた日。優しい言葉…

目的地

11月24日。 ひらひらと風に舞う葉も、行く先を選んでいるのだろうか。右に左に翻弄されながら、勢いよく、またはゆるやかに、目指す先はあるのだろうか。行き交う人々も、導の前に立ち止まり集い、また別れ、遊具の向こうへ消えてゆく。私の目指すべき場所は…

ノスタルジー

11月22日。 高い鼻、カールした茶色の髪の毛、細い腰、すらりと伸びた手足。光をさらさらと通すような、背の高い、美しい人だった。さっぱりとした性格はどこか見かけ倒しのような、気の抜けるような意外性があった。今まで会ったどんな人でも表せない。 一…