商店街

厳しい毎日。荒々しい風が吹く。勢力を増した台風が迫っていると、夕方のニュースで言っていた。最近パーマをかけた髪があっちこっちに吹き乱され、目に入ったり口にかかったりして何とも鬱陶しい。くすぐられた鼻がかゆい。

いつもの癖で鼻をこすりながら、さてどうしたものかと商店街を物色する。時刻は16時。天丼屋や定食屋に入っては夕飯を作る気力を失ってしまう。かといってチェーンのカフェの賑やかさは今は億劫に感じられた。孤独。大切な人にひどいことを言ってしまってから、自分が嫌になり、うまく話せないのだ。

入る店は決まっていた。大学時代、2人でゆっくり寛いだ、個人経営の喫茶店。几帳面なマスターが丁寧に淹れるコーヒーと、ゆったりした音楽が流れる極上の空間。貧乏学生にはたまにしか行けない贅沢だった。荒んだ心を慰めるのはここしかないだろう。コポコポと落ちるサイフォンの中の泡を見つめていると、不思議と落ち着いた気持ちになってくる。

酸味のあるハーベストと、チーズケーキを注文した。機械みたいに正確な動きのマスターは、初めて来た頃からまるで変わっていない。私はこの何年かで、職業も、髪型も、口調だって変わっていったのに。

「苦いコーヒーが苦手だったのに、僕に合わせて飲めるようになってくれたところ」

プロポーズの手紙で、彼はそう書いていた。確かに私はコーヒーの苦いのが苦手で、何年か前はコーヒー屋の前を通るのさえ毛嫌いしていたほどだった。

ただ彼との喫茶店巡りは胸がドキドキするほど楽しく、2人でいるだけでそこは天国だった。そして初めて頼んだスペシャリティコーヒーの、嫌な苦味のなさや、味わい深い複雑な風味によって、珈琲が人々を魅了する理由を知ってしまったという訳なのだ。

空腹によって、チーズケーキを軽く4分の3は食べてしまった。きっとコーヒーと合わせてチビチビ頂くものなのに。しかし、ふんわりした食感と広がるクリームチーズの塩気、レモンの爽やかさが絶妙なのだから仕方がない。

サイフォンからコーヒーを注ぐ。普段はもっぱらカフェラテだが、美味しいコーヒーには、ミルクもお砂糖も要らない。ふんわりしてトゲトゲしない、酸味が少し色っぽい、良い女のようなコーヒーだ。私は子どもで、自堕落で、魅力がほとほと無い。他人に嫉妬し、自分を蔑み、親しい人に恵まれながら落ち込んでいく。こんなネガティヴ思考をどうにかしたい。このコーヒーから少しでもあやかれれば良いのだが。

早々にケーキがなくなって甘味が恋しくなり、頂いておいたミルクを注ぐ。ううん、いれない方がスッキリしていてよかったかな。一口飲んで思い直しても、クリーム色になったコーヒーは戻らない。いや、まろやかで、美味しい。そういうことにしよう。ぐいっと一気に飲み干す。お腹はたぷたぷ。ふうと息をついた。

大分満たされた。店内のBGMがヒーリングセラピーのように眠気を誘ってくる。

全て平らげてしまったけど、もう少しこの空間に浸っていたい。本でも読んでいればいいかもしれないがあいにく家に置いてきてしまった。追加で注文すべきだろうか。しかしこのお腹にそれは蛇足な気がする。

パラパラとメニューをめくる。明朝体に少し飾りをいれたフォント。順番にご提供します、の但し書き。マスターの几帳面さと、時々遊び心が伺える。1人で店を構え、切り盛りし、続けている。私よりずっと優れた人間だ。そんな風にまた自分を下げてしまう。もうこれはほとんど反射だった。

自分にはできない、こわい。だめな人間だと、烙印を押されている気分だった。本当に烙印を押されたことなどなく、そもそも見たこともないのに。

コーヒーの余韻が消えそうになり、また慌ててメニューをめくる。そこには「ココア」の文字。こんな選択肢も、ありだろうか。

マスターの顔色を伺う。新規のお客さんが入ってきたので、その人の後になら注文してもいいかもしれない。

私はまだ味わったことのない「ココア」に想いを馳せ、そわそわと座り直した。胃の調子はなんとかなりそうだ。大丈夫。新しい選択肢は、私にもまだあるはず。まだ、進んでいけるはずなのだ。