あの坂の上

3月12日。

私は結構坂道が好きだ。地面を踏みしめる感触が足の裏から伝わり、ふくらはぎの筋肉が伸びているのを感じる。平坦な道より速くなる。ぐんぐん進む感じが好きだ。プライドも意地もズタズタになって、妥協しながら、ここまできた。ちっぽけな自分が、ちっぽけなものを抱えてまた泣いていると気が付いたのは、坂の上まで昇ってからだった。

1月24日。

口にした途端、ああこれではないと分かる。間違った言葉、伝わらない気持ち。表現できない。君の顔色を伺えば、たいていは傷付けているか、怒らせているかのどちらかだった。分かってもらいたくて溢れ出る言葉達は、刃となり、槍となり、たとえ望んでいた返答が来ても、それは恐喝と同等だった。

風呂上がりの蒸気で鏡が曇る。濡れた髪がくるくると好きな方へはねる。だんだんと輪郭がぼやけ、肌もクリームを塗ったかのようになめらかに見えてくる。綺麗だ。

もしいま、ソファーに君が座ってなかったら。その先を思い浮かばなくとも、気配のないソファーが答えだった。膝掛けをかけて腰掛けると、またしばらく眠れそうにないと察した。夜中に光る白色電球は、瞼の裏側まで乾かした。

たかだか隣の部屋までの距離は、分厚く、果てしない壁があった。この木造アパートには備わっていないはずだ。聞いてたのと全然違うね、と一人嘯く。

準備中

12月27日。

もう年の瀬も近付いている。慌ただしい日々。自信を持ったり失ったり、揺らめいている私は宙に浮いているようだ。

音はなぜ、形を持たなかったのだろうか。耳に差し込んだイヤホンから壮大な四重奏が体の中に入ってくる。揺らめいて広がり、近付いたり離れたりを繰り返す音は、遠い国の景色のようにおぼろげな輪郭をいくつも重ねていた。「いらっしゃいませ、どうぞ」威勢よく張り切った声。彼の声もまた形なく、近くにいた私にすら届かずに消えていった。

 

混み合う車内。押されながら前の女性に寄りかかる。不意にかいだ匂いは、懐かしい友人宅のようだった。あの頃のわたし。毎日が不安で、窮屈で、どこか遠くに逃げ出したくてたまらなかった。恥ずかしさや緊張が幾度となく襲って来た。ただ必死に明日を求め、冒険した日々に、戻れるものなら何をするだろう。再び悩み、苦しみ、また今と同じ道に立つのだろうか。風が四方に吹くと匂いはまた、乳飲み子のようだった。腕の中の布に包まれた、小さなたからもの。それを抱え込んで、駅のホームから一歩一歩、慎重に階段を下っている。横を歩くと思わず拳を握りしめた。冷や汗をかいた。そんな大切なもの、壊してしまったらどうする。計り知れない悲しみを想像した。最悪の結末まで話は飛んだ。どうしたって陽気ではいられない。乗り換えを急ぐ人の波が曲線を描く。自動販売機の前に悠々と広がり話す観光客たち。まとう空気は甘ったるく大きな南国の花のよう。大きなキャリーには、さほど大切なものは入っていないようだった。

国道

12月11日。

私は、今まで行ったところのかけらでできている。

そんな思いに駆られたのは、大きな国道沿いを歩いていた帰り道。重たいトラックが次から次へと、暗闇を照らしながら轟々と唸り声をあげて引き摺られていく。赤信号が遮ると、冷たい風が吹き、街路樹の葉をざあざあと撫でる。見上げれば電線が蜘蛛の巣のように張っていて、頭上に広がる深く暗い空に捕らえられたような気持ちになった。

怖い思いもした、悲しい思いもした。平凡な毎日の中で、たとえようのない不安に、裾を掴まれているような、どこか悲しげな老人に見つめられているような。真っ赤な顔で泣くのを堪えた赤子のようになっても。それでも。今私はここで、息をして、騒音と眩しいライトを感じながら、歩いている。この先の悲しみに、胸が押し潰されてしまうとしても。この道を行く。