白い器

12月9日。

ストーブの上のやかんは、シュンシュンと鳴って、カタカタと小さな蓋を揺らす。大人しい一輪挿しは薄麻色をしていて、深い焦げ茶のテーブルに身を預けていた。隣の夫婦は、ぽつりぽつりと話をしては、それぞれの手元の本に視線を落とす。女性がたまにこちらを伺うような目を向けるとき、男性は窓の外をぼんやりと眺めていた。考えることも、体の向きも、向かい合う2人の上を漂って交わるのだろうか。奥の婦人がかぎ針を編む様子に目を奪われながら、君のことを思い出している。紡いだ糸が美しい模様になり、柔らかくテーブルに垂れている。私たちのことも包み込んでくれないか。グラタン皿の淵に残ったチーズが、冷めて伸びなくなってしまった。熱々で、舌をやけどしてしまいそうだったけど、とろりと伸びたチーズの塩気を思い出して恋しくなる。追加で頼んだラテもぬるくなり、読書も5冊目に入っていたところで、そろそろ店を出ようと上着を取る。硝子戸の向こうは日が傾いて、空気は木の幹まで冷やしていた。遠くの空は薄桃色で、重なる雲をも染めていた。洗濯物はいまだにお風呂場で、今日の空を拝めなかった。慌ただしい朝のことは、まるで遠い過去のよう。イチョウの葉を眺めながら、冷えきった手をポケットにしまいこんだ。

チャック

12月7日。

話したいというのにマスクをしている。歌いたい食べたい伝えたい。それでも自分の心だけは強固な壁で見えないようにした。マスクをとる自信はなかった。

自分だって愛想がよくないのに、他人の気のない返事で心が痛む。不快にさせていないかと考えると胃が締め付けられるようだ。できるだけ離れたところにいたい。でも繋がっていたい。求められたい。大切にされたい。

相手を思いやっているようで、結局は自分のことしか考えていない。自己保身から嫌悪に陥る。誰も気にしていないことが気になる。どうして、頭の中は人には見えないんだろう。閉じた口と叫んでいる心が、どうして同じ身体に生きるのだろう。

白い息

12月6日。

心の中には、決まりごともモラルもない。何を考えていようと、反対に何も考えていなくとも、自由で無秩序で、垣根もない虚空。無になるにはあまりに広く、片付けようにも底が見えない。目には見えない世界、誰とも繋がってはいないようだ。

口を閉じていても、頭の中で飛び交う気持ちがざらざらと巡る。ポップコーンのように弾けたものは言葉になったり、動きになったりする。

12月3日。

午後の公園では、よく物思いに耽る。過去に想いを馳せたり、未来を傍観してみたりする。

氷の上を、刃のついた靴が模様を描く。多くの人が実に楽しそうに、自由に、あちこちに動いている。間を縫いながら、風を切って滑るのは心地よい。シャッシャッと氷を削る感覚が足元を伝わる。鋭い刃で心が研ぎ澄まされていくようだ。ふと、スピードスケートの選手はどんな音を聞いているのかと想像した。フィギュアスケートの選手は、氷上から降りたとき、重力を忘れていた宇宙飛行士のようだろうか。

瞳の奥

12月2日。

青い空に澄んだ光、師走の冷たい風が心地よい。学生服には色とりどりのマフラー。彼らの淡い感情を繋ぎとめるように編まれたチェック柄。胸の奥で、子猫に甘噛みされたような痛みを感じる。

何か新しいことを始めたい。変わりたい。そんな気持ちで家を出てきた。

帰り道に味わった挫折も、私が踏み出した一歩だ。得られなかったものは、失ったものではない。あと何歩踏み出せば、手にはいるだろうか。地下鉄は野心を運んでゆく。日々の雑踏や、どうかこの気持ちを忘れさせないで。